この夏のシンクロニシティ

七月の半ばごろ、祖母が入院して手術をすることになった、と母から連絡があった。

祖母は口腔外科の手術を以前にも一度しており、今回も同じような手術ということと母の話しぶりからも深刻さは感じられなかったので、あまり心配はしていなかった。
七月末から一ヶ月間の入院。お盆も病院で過ごすことになるので、私は帰省してお見舞いに行こうと考えていた。

それから、なんとなく祖母のことを思い出したりした。



小学一年生の夏休み、祖母と母と姉と私の四人で一泊二日の熱海旅行をした。静岡のどこかで観光したはずだけど、覚えているのは旅館での夜のことだけだ。
どちらかといえば古い、大きくも小さくもない、庶民的な旅館だったと思う。
宿泊する部屋に入ると、和室の壁に一枚の絵がかけられていた。飾ってあるというよりはかかっているという感じだった。荒れ狂う海と波に抗うように浮かぶ一隻の漁船が描かれていた。絵から暗いものが漂っている感じがして、見ないように意識した。
窓から外の景色を眺めると、ほぼ断崖絶壁で海だけが見える。
他のことは…何を食べてどんな風呂に入ったかなんて覚えちゃいない。
記憶は敷かれた布団に四人川の字になって寝ているところにとぶ。
窓側から姉、母、私、祖母の順に並んで寝た。
私はすぐに寝つけなかったが目を閉じて眠ろうとしていた。


すると廊下側から「チリン…チリン…」と鈴の音が聞こえてきた。音は人がゆっくりゆっくり歩くスピードで、等間隔だった。音が段々と大きくなってきて、この部屋の前に近づいてくるのがわかる。
私は(誰かが温泉にいくのだ、鍵に鈴がついているんだ)と思った。
部屋の前を鈴の音が通り過ぎていくのがわかった。
すると、また通り過ぎた方から鈴の音が近づいてくる。

(忘れ物でもしたのか)と思った。
それから何度か鈴の音が行ったり来たりして、なにかがおかしいと恐怖心がふくらんでくるが、どうすることもできずに布団の中でうずくまっていた。

すると今度は、窓の外から鈴の音が聞こえてきた。
(鈴をつけた猫か)と思った。
そう思おうとするのだけど、無理がある。猫はこんなに等間隔に歩けないし、窓の外を人が歩けるようなスペースもない。こわくてこわくて、誰にも気づかれないようにそっと母の背中にくっついた。
鈴の音が徐々に大きくなり最大限近づいたとき、音が停止した。それはすぐ側にいる。
私の頭の中はサダコのような幽霊像が浮かんでいた。目を開けて確かめようかと思ったが怖くてできなかった。固く目を閉じ、どこかへ過ぎ去ってくれるのを待った。
私はそのままいつの間にか眠りについていた。


翌朝、皆に夕べ寝ているときに鈴の音が聞こえなかったかときいた。
母と姉は全く知らないと。
当時、宜保愛子氏を崇拝していた祖母は、「聞こえた」と言った。
私は昨夜の出来事はまだ受け止めきれずにモヤモヤしていたし、あまり話してはいけないことのような気がして、それ以上言及することはなかった。




そんなことを思い出して、あぁ今一度祖母に本当にあの時鈴の音が聞こえたかどうかきいてみようかなぁと思ったのだが、そんなことを入院中のナーバスな状態の人に聞くもんじゃないと思い直し、やめることにした。



祖母の手術は8時間にも及んだ。母が私を心配させないように、わざと簡単な手術であるかのように言っていたのだ。
手術は成功し、すぐに自分でトイレもお風呂も入れるくらい回復して、一安心した。




その後、母が私に話した。
入院する前におばあちゃんがタンスの奥から風鈴を見つけ出してきて、軒下に付けたの。そしたらそこが風の通り路なのか、四六時中風鈴が鳴り続けるのよ。
その鈴の音が、ご先祖様かなにかを呼び寄せているような気がして、おばあちゃんを連れていくような感じがして気持ち悪かったのだ、と。
それは単に、母が祖母を心配する想いや不安が風鈴というものに投影してしまっただけなのかもしれないけれど、母はその音が気になって仕方がなかったので、オモリをつけて鳴らないようにした。そしたらそのうち台風がきて、気づいたらどこかへふっ飛んで行ってしまったらしい。



鈴の音と祖母のこと、目に見えないものの存在のことをほぼ同じ時に別の場所で母と私は考えていたのだなぁ、と思った。
だから何なんだって話しだけど、ちょっと不思議に思ったのだ。
御守りに鈴がついていたり、仏壇でチーンとならしたり、神社でガランガランとやったり、鈴の音というやつは何かしらの意味があるのだろう。



そして私はいい年して入院中の祖母からお小遣いをしっかりと受け取った。
あぁ、おばあちゃんこんな不甲斐ない孫でごめんね、いつもありがとう。
元気にお家に帰ってきて長生きしてね。




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