社会の窓

「社会のまど、あいてますよ」



誰もが一度は耳にしたことがあるであろう、このフレーズ。


社会の窓が開いている』とは、ズボンのファスナーが開いたままになっていることを本人に伝える婉曲な言い回しですが、近頃すっかり聞かなくなったと思うのは私だけでしょうか。


しかし先日「社会の窓が閉まらないのを直したい」という依頼を受け、久々に聞いたなぁと思い、そこから無性に気になりだしてしまいました。
そもそもどうしてこのような言い回しになったのか。
ググってしまえば早いのですが、その前に自分なりに考えてみることにしました。




ファスナー=窓 ということは、
ズボン=壁(家) といえる

ズボンの内側にあるのが自己、外側にあるのが社会(世界)

ズボンは自己と社会の境界線

ヒトは家の中では裸でいることが許されるが、外へ出るときには顔、手、足、腹以外の部分は見えないように覆われていなければならない(現代日本(宗教などで肌の露出を禁止されている人を除く)において)。

社会という公共の場(プールや温泉を除く)で、唯一体の露出が許されるのは排泄をするとき。

つまり、ズボンのファスナーというのは、自己という身体を解放し、社会と接触することができる唯一の扉であり窓なのである。




というふうに無理矢理こじつけてみましたが、正解はまったく違いました…。
検索するとすぐに出てきました。
(というか、文字をクリックすると説明でますね)


社会の窓とはNHKラジオの番組名で、普段見られないところが見える、という共通点からズボンのファスナーが開いていることもそう言われるようになったそうです。


それにしても、これを一番初めに例えて表現された方はすごいユーモアセンスです。
そして、どんどん広まって行った。
コトバって不思議だなぁと思います。
ちなみに「社会の窓」は主に男性に対して使われ、女性には「理科の窓」という言い方があったそうですが、こちらはあまり広まらなかったようです。




ふと思い出したことを。
私は文化服装学院のメンズデザインコース出身で、担任の先生は銀座の某老舗テーラーで修行された方でした。
パンツの製図の授業で、よく覚えていることがあります。


《右利きの人は性器が左側にあることが多い。左利きの人は右側。だから、たいていパンツの左前身頃のファスナー部分を右よりも3ミリくらいだけ膨らませたりすることがある。》


シンメトリーなパンツであれば、前・後のパターン(型紙)を作り、左右は同じパターンです。スーツのスラックスで左右に差をつけるというのはオーダーだからこそできることだと思いますが、問題は本当に右利きだと左側にある場合が多いのかという情報です。
いったいそれはどれ程の信憑性があるのだろうか。
概ね正しいとすれば、なぜなのか。
パンツの左身が上前であるからでしょうか。



また新たな疑問が湧いてきましたが、この情報はググっても答えを見つけられないのです…。
知ってどうするんだろう、という気もしますが。




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